レジェンド 04:「ミスタースカイライン」の素顔、桜井 眞一郎。
桜井 眞一郎
中途半端は通用しない
語る人:伊藤修令
「R31」の開発途中で、桜井眞一郎からその後継者として選ばれた伊藤修令。1959年に入社し、当時の「第四設計課」、今でいうところの「シャシー設計」のサスペンショングループに配属となった。「大学で燃焼の勉強をしていたから、本当はエンジンをやりたかった」が結局馴染みの薄いシャシー設計をやることに。その部署の上司が、桜井眞一郎だったのである。
入社したのは1959年です。初めて桜井さんに会った時の印象ですか。すごく威張った人でしたね(笑)。周りの人も避けて通るようなただならぬオーラを放っていて、桜井さんの上司よりも年上で偉そうに見えました。実は僕、桜井さんのことなんてまったく知らなかったんです。
新入社員はすぐに仕事がなかったので、仕方なく机でタバコを吸っていた。するとそこに桜井さんがやってきて、「新人のくせに勤務時間中にタバコなんか吸うな!」とドヤされまして(笑)。それが桜井眞一郎という人とのファーストコンタクトでした。まずいところに来ちゃったな、と思いましたよ(笑)。
桜井さんは話術も巧みでした。いまでいうプレゼン能力です。スカイラインの哲学は走りがいいこと。ドライバーの感覚に忠実なクルマ、つまり人馬一体が理想。馬は後ろ足で蹴って推進力を出している。後ろに荷重がかかり、そこにトルクをかけて前へ進むのは自然の摂理。だから後輪駆動はいい。でも、馬の動きをもっとよく観察すると、実は前足でも地面を蹴っているし、後ろ足でも舵を切っている。だから四輪駆動と四輪操舵が必要。これがアテーサ※1とハイキャス※2というわけです。こんな説明されると、みんななるほどってなるでしょう(笑)。
- ※1 正式名称ATTESA E-TS(アテーサ イーティーエス)。日産自動車が開発した電子制御トルクスプリット四輪駆動システム。Advanced Total Traction Engineering System for All Electronic – Torque Splitの略。
- ※2 HICAS (ハイキャス)。日産自動車が開発した電子制御4輪操舵システム(4WS)。High Capacity Actively Controlled Suspensionの略。
スカイラインは分身
自分でやるならスカイラインらしいスカイラインにしたい。しかし世はFF全盛期で、FRへのこだわりが実現しにくい環境でもあった。それに、スカイラインというクルマはお客様の期待値がもの凄く高い。うまく出来て当然のようなところもあった。実際に自分でまとめることになって、あらためて桜井さんは苦労していたんだなと痛感しました。 お客様の期待値だけでなく、スカイラインというクルマをひとつのブランドにまで押し上げたのは、やっぱり桜井さんの功績に他ありません。スカラインを通して多くの技術者を育て、日本の自動車技術の発展に寄与された、偉大なエンジニアだったと思います。桜井眞一郎という人は。
誠実なエンジニア
語る人:山口京一(自動車ジャーナリスト)
「初めてきちんと話をしたのは、R380を富士スピードウェイで走らせる時でした」と語るのは、自動車ジャーナリストの草分け的存在である山口京一氏。桜井眞一郎を古くから知り、技術的側面からも多くを語り合ってきたという。ジャーナリスト目線で見た、エンジニア・桜井眞一郎はどういう人物だったのだろう。
桜井さんの印象ですか。とにかく、ものすごく丁寧にこちらの質問に答えてくれる人だと驚きました。というのも、その頃の自動車メーカーのエンジニアのみなさんは、ジャーナリストなどという怪しい職業の人間があまり好きではなかったようで(笑)、「そばに寄るな」「話しかけるな」というオーラを出していて、質問してもろくに答えてくれなかった。でも桜井さんだけは違ったんです。こちらの些細な問いかけに対しても、じつに誠実に分かりやすく応じてくれました。R381が登場した際にも、可変ウイングについて聞いたら「これはそもそも、航空機のフラップからヒントを得たんですよ」なんて、資料に書いていないことまで教えてくれた。これは私の経験ですが、後世に名を残すようなエンジニアというのは、こういうタイプの人が多いですね。
愛のスカイライン
“ケンメリ”の辺りから、スカイラインはそれまでの走りをセールスポイントにした「真面目な」クルマから、ファッショナブルな路線へ転換した。ケンメリが大ブームになったのも、当時としては珍しい、でも若者が求めていたいわゆるデートカーの要素を持っていたからです。ハンドリングはもちろん悪くなかったけれど、スカイラインに乗っていれば、男女の仲がうまくいくみたいな雰囲気が当時はありましたからね。CMで「愛のスカイライン」なんて言われたら、そりゃその気になっちゃう(笑)。あのキャッチコピーを作ったのは桜井さんではなかったらしいですが、そういう方向性を打ち出したのは彼でした。スカイラインというクルマだけでなく、それを取り巻く世界の演出作りにも長けていた人だったんです。
「愛のスカイライン」というキャッチコピー、あれは桜井さんのスカイラインに対する“愛”という意味も込められていたんじゃないでしょうか。
語る人
伊藤
修令
/
Naganori
Ito
1959年広島大学工学部を卒業後、プリンス自動車の前身である富士精密工業へ入社。その後はスカイラインだけでなく、ローレルやレパードの開発にも携わる。入社当時から桜井眞一郎の傍らで過ごし、絶大なる信頼を得て「桜井眞一郎の一番弟子」と呼ばれていた。彼が引き継いだ7代目スカイライン(R31)はその時点ですでに開発の終盤を迎えており、設計統括としてイチから担当したのはR32が最初のモデルである。
山口
京一
/
Kyoichi
Yamaguchi
1960年代から自動車ジャーナリストとして活躍。『カーグラフィック』をはじめとする国内の自動車専門誌のみならず、イギリス『モーター』、アメリカ『ロード&トラック』、オーストラリア『ホイールズ』などにも寄稿。80年代から自動車技術者協会の機関誌『Automobile
Engineering
International』アジア担当エディターとなり、日本の自動車技術を世界に発信する。世界の自動車メーカーのボードメンバーと、ファーストネームで呼び合える唯一の日本人ジャーナリスト。