カナダで開催されている「日産セントラカップ」や「日産マイクラカップ」というカーレースをご存知でしょうか。一般ドライバーも参戦できるモータースポーツで、参加者全員が市販車をベースにした同じ仕様のクルマでスピードを競うワンメイクレースです。カナダで「マイクラ」として販売されている「日産マーチ」を使った「日産マイクラカップ」は2015年から、それを引き継いだ「日産セントラカップ」は2021年から開催されています。このカーレースで活躍する20歳の若手女性ドライバー、マリー ソレイユ ラベルさんをご紹介します。(ちなみに、名前の「ソレイユ」はフランス語で「太陽」を意味することから、ラベルさんのニックネームは「サニー」です。)
あこがれのカーレーサーと同じ道に進もうと挑戦し、発達性言語障がいを抱えながらも女性レーシングドライバーとして「変化を生み出したい」と活動する彼女の姿は、周囲の人も巻き込んで大きな感動を呼んでいます。
「ヒーロー」の足跡を辿って
サニーさんがカーレースに初めて出会ったのは、なんと12歳。屋内のゴーカートレースが彼女のドライビングキャリアの始まりです。瞬く間にレースで頭角を現し、若干15歳で2020年の「日産マイクラカップ」に最年少のドライバーとして参戦しました。ところで、彼女のあこがれは、1977年にフェラーリのドライバーとしてカナダGPに参戦したカナダ人のF1ドライバー、ジル ヴィルヌーヴさんです。1982年に亡くなるまで、そのスキルとあきらめない粘り強い姿勢で多くのファンを魅了しました。ヴィルヌーヴさんがカナダGPを走った47年後、2024年に開催された「日産セントラカップ」の初戦で、サニーさんはあこがれのヴィルヌーヴさんとまったく同じコースを走行しました。
「ジル ヴィルヌーヴは私の『ヒーロー』なんです。世界チャンピオンにはなりませんでしたが、彼の絶対にあきらめない精神は次の世代にも受け継がれています。ジルが走ったのと同じサーキットを走りながら、彼と同じように強い心をもって走りたいと思っています」とサニーさんは語っています。
スムーズに言葉が出てこない障がいを抱えながら
レースドライバーとして活躍するサニーさんですが、いったんサーキットを離れると「発達性言語障がい」と向き合って暮らしています。相手の話の意図をよく理解できなかったり、自分の考えや感情をうまく表現できなかったりするのです。
「少し前まで本当に恥ずかしがり屋でした。カメラに向かって話したくなかったので、レース後はいつもトレーラーに隠れていたぐらいです。きちんと話すことも、適切な言葉を選ぶことも苦手でした。」(サニーさん)
しかしサニーさんはレースを通して自分自身を確立していきます。今年5月に開催された「日産セントラカップ」の初戦の後には、ファンのリクエストに応えてTシャツにサインし、一緒に写真を撮影する堂々とした彼女の姿を見ることができました。彼女のファンの多くは若い女の子たちです。そうです、いまやサニーさんこそがこういったファンの「ヒロイン」になっているのです。
サニーさんは現在、国際的な委員会「発達性言語障がい認知向上(RADLD)」のスポークスパーソンを務めています。また、難病と闘うこどもたちの夢の実現を手伝う「メイク・ア・ウィッシュ財団」でもジュニアアンバサダーとして募金活動に携わっています。
「周りの人と違っていても自分の目標をかなえることができる、ということを子どもたちに伝えたいと思っています。何か夢があっても、障がいを抱えてすぐには夢を実現できない子どももいるかもしれません。でも周りの人と違っているからといって夢を諦める必要はないのです。少し時間はかかってしまうかもしれませんが、最後に夢は実現するし、そんな自分を誇らしく思える時がくるでしょう」とサニーさんは言います。
女性ドライバーならではの苦労
サニーさんが乗り越えなくてはいけない課題は発達性言語障がいだけではありません。女性ドライバーとしてもさまざまな壁にも直面しています。「レーシングドライバー」という言葉を聞くと、おそらく大半の方が男性をイメージされるでしょう。実際に女性のレーシングドライバーは極端に少ないのが現実です。女性レーシングドライバーの育成を目指す団体「モア・ザン・イコール」のレポートによると、世界トップレベルの現役レーシングドライバーに女性が占める割合はわずか4%です。
レーシングドライバーとして頂点に立つには、スキルはもちろん、経済的な支援や運も必要です。これに加えて、女性ドライバーにはさまざまな面で追加の苦労や障壁があります。先ほど挙げた「モア・ザン・イコール」は、世界最高のレベルの女性レーシングドライバーが少ないのは、複数の要因が絡み合っていることが理由だと指摘しています。たとえば、そもそもモータースポーツに参加する女性の数が少ないこと、女性のロールモデルがほとんどいないこと、女性向けのトレーニングや能力開発がないこと、経済的支援を得にくいこと、タイムが劣ること、モータースポーツ界に女性への偏見があること…などです。
こういった状況を改善しようと、サニーさんはカーレースの分野で活躍する女性を支援する「北米モータースポーツに携わる女性の会(WIMNA)」にも入っています。同会のエグゼクティブディレクターを務めるシンディ シッソンさんはサニーさんをよく知る1人として、「私が知っているドライバーの中でも、サニーの情熱や利他の精神は群を抜いています。モータースポーツに携わる女性を後押ししていきたいと心から思っています。クリエイティブに考え、仲間の女性たちを気に掛ける姿は、まさにチャンピオンと呼ぶのにふさわしいでしょう」と彼女の人柄を評しています。
自分専用に「セントラ」をカスタム
サニーさんは「日産マイクラカップ」にも「日産セントラカップ」にも出場し、今までに「マイクラ」(日本では「日産マーチ」)を2台と「セントラ」を1台購入されています。(ちなみに、ご家族も過去4年間で、乗用車5台とレーシングカー4台の合計9台の日産車を所有されてきました。)サニーさんのモットーは「変化をもたらすために生まれついた」ですが、これはまさに日産のDNA、「他のやらぬことを、やる」に通じるものがあります。
サニーさん専用の「セントラ」には彼女らしいカスタムが施されています。まず、ゼッケン番号「27」は彼女のヒーローであるジル・ヴィルヌーヴさんのゼッケン番号と同じです。そして、集団を率いるリーダーの狼、つまり「先頭」を意味する「アルファウルフ」の輪郭と、サニーさんのイニシャル「MSL」がこの数字の上に描き出されています。カナダの国旗に配されているカエデの輪郭がアルファウルフのまぶたになっており、話すことに障がいを抱えるサニーさんを表現して、このウルフには口がありません。歯車の輪郭も見えますが、これは優れたエンジニアであることを表しています。
サーキットの中でも外でも、変化をもたらす
サニーさんがこの愛車のメンテナンスを依頼するのは、ケベック州にあるドーマニ日産のサービスマネージャーで、彼女が全幅の信頼を寄せているイザベル オーティスさんです。時にはサニーさん自身もドーマニ日産のピットでクルマをいじることがあります。
サニーさんの成長を間近で見てきたオーティスさんは、サニーさんの大ファンです。「最初にサニーに出会ったのは彼女が15歳の時でした。私自身、仕事も趣味のスポーツも一般的には男性がやるものに携わっていますので、当初からサニーと自分には共通点があると感じていました。彼女には『社会にお返ししたい』という志があります。でもそういった優しさだけではなく、固い意志と情熱もあわせ持っているのです。私は一目で彼女のことが好きになりましたし、他の多くの人にも才能あふれるアスリートとして、周りを感化していける人物として彼女のことを知ってほしいと思っています」
さて、サニーさんの今後の歩みはどうなりそうでしょうか?現在、サニーさんは学校生活と次の「日産セントラカップ」の準備をしっかりと両立させ、一方では先日RADLDのスポークスパーソンを複数年務める契約を更改しました。今後も、自分のストーリーを共有し、なかなか周囲には見えづらい発達性言語障がいという課題を抱える人たちを支援していくつもりです。将来の大きな目標は、モータースポーツチームのエンジニアになることだそうです。
モータースポーツの世界にもダイバーシティや女性を取り込んでいくことが大切です。モータースポーツに携わる女性として、自分と同じように他の女の子や女性たちにもこの世界に入り、自分の居場所を見つけてほしいとサニーさんは考えています。
「ゴーカートに乗り始めたころから信念を持ってやってきました。『社会にお返しすること』、これが私の究極の目標です」(サニーさん)
「日産セントラカップ」は一般ドライバーも参加しやすいレースシリーズとして、5月から9月にかけて合計6回開催され、2時間にわたってレースが繰り広げられます。2015年に「日産マイクラカップ」がスタートし、今年は10周年の記念すべき年になります。次のレースは7月19日~20日、今年初めて米国でも開催される日産セントラカップの初戦です。サニーさんを始め、ドライバーたちが繰り広げる戦いを応援してください!