「技術の伝承」は業種を問わず製造業の課題です。日産ではどのように向き合うか? 今回は販売会社のメカニックが技術を競う「日産サービス技術大会」に焦点を当ててみましょう。
(本動画は当初社内広報用途に制作されたもので、一部所属名称や敬称が社内向けの表現になっている場合があります。ご了承ください)
1966年にスタートした日産サービス技術大会は、全国の日産販売店で働いている整備士たちが集い、「サービス技術」の頂点を目指して競い合う大会です。お客さまのクルマの点検や修理といったメカニックの技術と、お客さまへの応対技術を高めるために、日産グループが総力を挙げて取り組んできました。
2019年の大会は10月18、19日に開催。チーム部門では東京日産自動車販売が優秀賞を、個人部門では木村琢選手がテクニカルアドバイザーの3位、深松慎哉選手がテクニカルスタッフの優秀賞を獲得しました。優勝を目指していた選手たちは大会を終え、笑顔の中にも悔しさを滲ませていました。
この大会への挑戦を通して、選手たちは何を学んだのでしょうか。日産サービス技術大会で優勝した経験を持つメカニックOBが解説します。
東京日産自動車販売 サービス部長 伏見一洋
「元々バイクやクルマの整備士になりたかったということもあり、東京日産に入社してからはクルマをイジることができて毎日が楽しかったですね。
整備士として自信を持てたのは、エンジンをバラバラにして組み上げるような仕事を任されたときです。いろいろな方に助けてもらいながら経験を重ね、修理できない不具合はないと思えるようになりました。自分だけでは修理できないかもしれませんが、日産の技術センターの力を借りることができますし、頼りになる先輩や後輩もいます。逆に言えばどのような手を使ってでも、不具合は修理しなければいけないんです。それが整備士として使命であり、やりがいです。
全国日産サービス技術大会に出場したのは2年目のこと。技術大会に関する知識はほとんどなかったのですが、サービス本部に呼ばれ、社長以下役員が次々と登場し、『今年こそ優勝だ』という話をしたので、大変なことになったとことの重大さにようやく気がつきました。それから半年間、毎日トレーニングを受けましたが、とにかく厳しかったのを覚えています。『やったことがないものはできるはずがないので、すべてを訓練する。それでも体験したことのない課題が与えられたらお前たちの責任ではない』と言われました。
入社2年目でサービス技術大会を経験できたのは、私にとってとても大きかった。勝つための訓練とはいえ、『お店に帰ったときに立派な整備士になるために育てているんだ』と言われながら、整備士として必要な考え方と技術を叩き込まれました。そこで優勝という結果を残したこともあり、これからも同期には負けるわけにはいかないと思っていました。また、各店舗のマスターと呼ばれる指導員から直に学ぶことができたというのも貴重な体験でした。入社2年目でそれだけの人々と人脈ができたことで、自分の可能性も広がったと思います。
自分がトレーナーとして選手を育成する立場になったときも、『店に帰ったときに立派な整備士になれるように努力してほしい』と伝えました。自分が先輩たちから受けたものは後輩たちにすべて伝え、ひとりでも多くの立派な整備士を育てるというのも貴重な機会を与えられたものの役割だと考えていました。
今はサービス部門全体を統括していますが、整備士の育成に励んでいる人たちや、サービスの現場でお客さまのために汗を流している後輩たちが働きやすい環境を整備するのが重要な役割だと考えています。
出場した選手にはトレーニングや大会で学んだことを周囲に伝えてほしいと思います。そうすることで東京日産の整備士として大切なスピリットが多くの人に受け継がれていきます。私自身も、自分が育てた後輩が工場長になったというのを聞くと嬉しく思いますし、『あいつも伝えてくれているかな』と期待しています。
今の目標は強いサービスの基盤をつくること。私たちが若いときとは自動車業界を取り巻く状況が変わってきていますが、『うちの会社の整備士になって良かったな』と思ってもらえる環境を整備することで、強いサービスにつなげていきたいと考えています」
東京日産自動車販売 管理部主管 西島大貴
「東京日産に入社した頃は、隣で作業をしている先輩とどちらが早く車検の作業を終えることができるのか、毎日、競い合っていました。『5分早く終わった』などと切磋琢磨していく中で、技術を向上させていきました。その後、不具合の修理を担当するようになってからは毎日が答え探しです。自分なりになぜ不具合に起きたのかを見つけ、その考えが正しければクルマを修理できると考えていました。
サービス技術大会の選手に選ばれたのは整備士としてそれなりの手応えを感じていた入社7年目です。私のときは3人で1つのチーム。私が指導員で、そのほか受付係と新人役がいて、連携しながら修理するという競技でした。実技の時間以外は、教室で学科試験の対策勉強をやるのですが、3人の中で一番点数が悪かったのが私。自分が足を引っ張ってはいけないというプレッシャーが大きかったですね。ただ、チームですからお互いに成長し合えるところもあります。『こいつが頑張っているんだから、俺もやらなきゃ』という気持ちになりましたね。
大会本番はとにかく緊張しました。当時のトレーナーの方は、私があがり症だということを分かっていたので、『スタートしたらどんな課題が来ても必ず初めにこれをやれ』というルーティンを設定してくれていたんです。それをやりながら、ようやく意識が戻りました。結果発表も生きた心地がしませんでした。3位、2位と発表されても名前が呼ばれず、『やってしまったのか』と不安で仕方がない。1位で名前が呼ばれたあとは、表彰式が終わるまで記憶がありません。
大会が終わって言われたのが、『大会で結果を出すことより、これからの方が大切だ。特にお前は1位になったのだから、これからも1番としてサービスを引っ張っていかなければならない』という言葉でした。そのプレッシャーと期待に打ち勝てたことは自分にとって大きな自信になっています。
私は今、人事を担当しており、人件費の予算から始まり、人員の配置や採用を主に担当しています。整備士のときはお客さまのためにという意識でしたが、今は、働いている仲間のために何ができるのかということを常に考えています。仲間が自信とプライドを持って、この会社で働いていけるようにするのはどうすればいいのか。まだ結果は出せていませんが、そういうことを考えなければいけないのが私の役割だと思っています。
サービス技術大会でクルマを直すときには、修理すべき1点を見ればいいのではなく、「正常な状態とは何か? 今、どういう不具合が起きているのか?」とクルマというシステム全体を俯瞰して診断をしていくということを教わりました。今の仕事でも、何か課題があるといったときには、その課題だけを見るのではなくて、『その課題に波及するものは何か?関連するものは何なのか?』という全体を俯瞰しながら眺めてみるように意識しています。
サービス技術大会で結果を気にしなければならないのは実は教える側。選手は気にする必要はありません。会社の代表として出場したという誇りを胸に、明日からの仕事を頑張ってほしい。仕事に対するプライドを学んでもらうのがサービス技術大会だと思います」
日頃なかなかお客さまの目に触れる機会の少ないメカニックたちですが、お客さまが安心してお乗りいただけるよう、技術を研鑽しております。ぜひお見かけした際にはお声をかけてみてくださいね。