GT-Rを追いかけて

GT-Rを撮り続けた、あるカメラマンの旅の軌跡

2023/07/20
  • クルマ・技術
  • People
facebook
X
linkedin
mail

2023年12月に創立90周年を迎える日産自動車。その長い歴史を支えてきたのは「他のやらぬことを、やる」という精神です。この精神は、多くの日産ファン、お客さまにも共有されています。GT-Rに魅せられたある一人の写真家は、まさにこの精神で自身の夢を叶えました。

今回の日産ストーリーズは、写真家アレキサンダー・キューレイテムさん(以下、アレックス)が、自身と同じようにGT-Rに魅せられたオーナーやチューナー、プロドライバーたちを求めて世界中を旅し、フォトエッセイ「GT-R:THE JOURNEY」を自費出版するまでの日々を紹介します。

午前1時

アレックスは、真っ暗闇のドバイ砂漠で、4時間にもわたるドライブを控えていました。会ったこともない人のGT-Rを、砂漠の日の出と共に撮るためにです。もしも砂漠の暗闇の中で、車が故障したり、携帯電話の電波が届かなくなったり、帰りの道が分からなくなれば、大変なことになることは覚悟の上です。

「“恐れを乗り越えないと、願いは叶わない”と、前に聞いたことがあります。本当にその通りでした。もしあの時、そうしていなければ、今の自分はないのだから」と、アレックスは振り返ります。

そして、この夜明け前の砂漠のドライブの結果、写真集の中でも群を抜いて美しい写真が生まれたのです。

ドバイにて、スルタン・アルマンスーリのGT-Rを撮影

伝説のクルマとの出会い

90年代、多くのクルマ好きの子供たちが、ソニーのプレイステーション®のゲーム「グランツーリスモ」に夢中になりました。アレックスもその一人。彼が初めてスカイラインGT-R(1992年式R32型 GT-R VスペックII)に出会ったのは、「グランツーリスモ」をプレイしたときでした。そして初めて実物のR32型 GT-Rを見たのは、オーストラリアに住んでいたとき。その音の迫力に圧倒されたアレックスは、すぐに人生初のスカイラインであるR32型 GTS-Tを購入しました。

その後、アレックスは大学で写真を学び、レンズを通してストーリーを伝えることに情熱を注ぐことになります。「写真では、自分の想いを自由に表現することができます。どんな制約にも縛られない。完璧である必要だってないんです。そのときの感情が伝わればいいのです。」

写真家として腕を磨いた彼は、いつしか子供の頃から憧れを抱いてきたGT-Rを撮影したいと思うようになりました。

「私がGT-Rに惹かれるのは、日産がこのクルマにどれほどの情熱や献身を捧げ、完璧さを追求してきたのかが分かるからです。ファンとして、写真家として、GT-Rが彩る様々なシーンを形にして残したい。私は本をつくることを決意しました。いてもたってもいられなかった私は航空券を購入し、翌週には撮影に出かけたのです。」

人生を変える旅へ

アレックスはオーストラリアを最初の目的地に選びました。現在ベルリンに住む彼にとっては地球の裏側です。出発したときにはまだ、誰に会うことができるのか、何ができるのかも分からないままでした。

到着する直前に、アレックスは父親がレース関係者である一人の友人に相談してみました。すると、オーストラリアの伝説的なレーシングドライバーであるジム・リチャーズさんから電話がかかってきたのです。

「二週間前、本をつくるという私の夢は、まだぼんやりとしたものでした。しかし今、目の前で『バサースト1000kmレース』で七度のチャンピオンに輝いたジム・リチャーズさんが、私に紅茶を淹れてくれています。こんな幸運があるのでしょうか!」

二人はバサーストのレースを席巻したR32型 GT-Rについて熱く語りあいました。そのパワーとトラクションが、いかに凄かったのかも。ジムさんは言いました。

「GT-Rがなければ、レースに勝つことはできなかったよ」

オーストラリアのレーシングドライバーであるジム・リチャーズさんとの対話

座間市にある日産ヘリテージコレクションで、GT-Rのレーシングカーを撮影するアレックス

困難の連続

興奮が冷めやらぬまま、アレックスはオーストラリアからカリフォルニアへと向かいました。しかし、誰に会うのかや何をするのかは、これから決めなくてはいけません。「私はレンタカーの中で、妻に電話をしながら頭を抱えていました。本当にこのプロジェクトはうまくいくのだろうかと」

妻からの励ましの言葉で冷静さを取り戻したアレックスは、やれるだけのことをやってみようと決めました。そこでまず、自身と同じ写真家でライターのナビード・ユスフザイさんに、GT-Rのオーナーを集められないかと相談してみたのです。

すると、ナビードさんはサンフランシスコのゴールデンゲートブリッジの近くに、約15人のオーナーを集めてくれました。中には三時間もかけてきてくれたオーナーもいました。そして、ゴールデンゲートブリッジを並んで走るGT-Rを撮影したのです。それは、想像を超えた、まさに息を呑むような瞬間でした。

「こんなことがあるのだろうかと思いました。ほんの数年前まで、GT-Rは日本から輸入すらされていなかったんです。普通ならここを走っているはずのないクルマが、次々にやってくる。日本のレインボーブリッジではなく、アメリカのゴールデンゲートブリッジを走っているのです。私は本当にこのシーンが大好きです。」

サンフランシスコでの撮影は翌日の夕方も続きました。

アレックスは良い撮影場所を見つけたのですが、通りがかった警察官にそこは立ち入り禁止の場所だと説明されました。しかし、彼は諦めません。GT-Rへの熱い想いとつくろうとしている本について話すと、警察官は特別に数分間の撮影を許可してくれました。さらに、持っていたライトでクルマを照らし、撮影の手伝いまでしてくれたのです。

思い出の道標

無鉄砲としか思えないようなこのプロジェクトに、アレックスは全身全霊で挑みました。そんな彼の姿は多くの人の共感を呼び、自動車ファンの仲間たちも応援してくれました。だからこそ、これほど多くの人が喜んで彼の為に時間を割き、自分たちの愛車とその思い出を惜しみなく披露してくれたのです。

「このクルマのおかげで、私たちは国境を超え、想いを共有することができました。私たちを結び付けてくれたのは、GT-Rなのです。」

ドライブの旅には、クルマとドライバーの両方に燃料を補給するための休憩がつきもの。

一年をかけて旅した場所は、18カ所以上に達します。数え切れないほどの熱狂的なファンに会いました。メモリーカードの山は、息を呑むような写真でいっぱいです。

アレックスは自費出版を決意してから、用紙の選択から物流まで、一つひとつ自分のやり方で進めていきました。海外への配送料を高額なものにしないため、本の重さも2キログラム以下にしました。すべてが大きなチャレンジでしたが、その甲斐あって、本が発売されるやいなや、世界中から予約注文が殺到したのだそうです。

アレックスは今回の旅で、時差ぼけに悩まされ続け、何も決まっていないスケジュールに自信を失いかけたときもありました。しかし彼は多くの幸運に恵まれ、多くの人の優しさとサポートによって、夢を叶えました。これこそGT-Rの持つ魅力です。

「始める前は、本当に不安で仕方なかったんです」とアレックスは言います。「『そんな無鉄砲な旅に出れば、無一文になるだけさ』と他の人に言われたこともあります。『やめておけ』という心の声に打ち克つことは簡単ではありませんでした。でも、写真が好きだし、GT-Rが大好きだから、どうしてもやりたかった。ですから、自分ならできると自分に言い聞かせました。自分の気持ちに正直に、自信を持って取り組めば、きっとできる。そう思って、簡単なことばかりではなかったですが、何とかやり遂げることができました。」

以下で、アレックスの作品集に掲載された作品ギャラリー(一部)をご覧ください。

  • 数字などの情報は2019年出版時のものです

ストーリーをシェアする

facebook
X
linkedin
mail

最新の日産ストーリーを受け取る

最新の日産ストーリーを受け取る

関連ストーリー

Jan 16, 2020

GT-Rが時代をつなぐ「トミカ愛」

おすすめのストーリー

2024/08/27

品質へのこだわりが「INFINITI QX80」の生産チームの原動力

  • クルマ・技術
  • People
  • ものづくり

2020/07/15

新しいブランドロゴが、日産の新たな地平を開く

  • クルマ・技術

2023/02/08

移動だけじゃない!EVで給電も節電も防災も

  • クルマ・技術
  • 社会貢献