細かすぎて報われた研究員

「もうひとつの品質物語」細かすぎて報われた研究員 3:13

いまだかつて実験したことのない新しい車に直面し、一人の男は全ての電気自動車の安全性に立ち向かった。

「もし、水の中を走ったら?」「万が一、雷に撃たれたら?」「例えば、充電中にペットが噛み付いたら?」「もし……」「万が一……」「例えば……」「……」。
クルマの危険に先回りし、 日産車の安全性を検証する「保安防災実験」 を担当する彼にとって、クルマに起こりうる心配事は尽きることのない永遠のテーマ。日常のどんな些細な出来事も実験対象になり得る。
日産のEV保安防災プロジェクト基盤開発チームに所属する田中孝二は、ある保安防災実験への事細かな取り組みが評価され、2010年、日産の国内従業員約2万8000人の最高栄誉賞であるCOO賞という栄冠に輝いた。

日産リーフのテストとして深い水溜りを走行するといったものがある。

EVに必要な、まったく新しい保安防災実験

「どんな危険を想定し、どんな実験をすればいいのか。手探りで挑まなければならなかった」と田中は当時を振り返る。そのワケは、実験の対象が日産初の量産EV・日産「リーフ」だったため。EVはガソリン車とは異なり、モーターやバッテリー、多くの電子部品といったEV特有のパーツを搭載している。
日産リーフの保安防災実験には、必然的に新たな実験メニュー作りが求められた。ガソリン車で長年積み上げてきた知見や経験だけでは太刀打ちできない。EVの使用シーンを想い描き、EVの弱点が顔を覗かせそうな瞬間を洗い出す。チーム内でブレストを実施し、想定した1000以上もの使用シーンから実験メニューを絞り込んでいった。
実験メニュー作りの手がかりは、いつも日常生活にある。犬の散歩を見て「犬がEVの充電ケーブルに噛み付いたら?」。女性が歩く姿を見て「ネックレスをして充電したら感電するの?」といった具合に田中の細かさが発揮される瞬間だ。充電スタンドの設置場所をリサーチしたり、「電気で動くつながり」で家電メーカーの門を叩いたり、電気で走るゴルフカートの観察なども行った。
実験を実施するのも田中のチームの仕事だ。想定したシーンを再現し、実施するため、研究所の一角には実験に使用する小物がたくさん用意されていた。冠水実験時に着用する絶縁スーツといった実験に欠かせないものから、ネックレスやハイヒールといったEVの感電を検証する小物も多かったという。
さらに、日産リーフの保安防災実験にはもう1つ、田中を悩ませるハードルが存在した。それは、発売までのタイトなスケジュールだ。スケジュールが短い一方で、初めて取り組む細かい実験が数多く存在する。しかし、この逆境がむしろエンジニア魂に火をつけた。
そこで田中は、通常は試作車を作り実験する所を、まだ試作車が完成する前の図面段階で設計担当者と“詰める”作業を実施。田中は栃木実験部を飛び出し、神奈川にある日産テクニカルセンターに納得するまで泊り込みを何ヶ月も続けた。実験前のシミュレーションと検討を重ねることで図面の精度を高めることに成功した。

日産リーフの安全実験チームのリーダー、田中孝二

4台の「ハイパーミニ」を持つ男

田中の努力は実を結び、期限までに無事、日産リーフは保安防災実験をクリア。実験を担当したEV保安防災基盤開発チームを代表して、田中はCOO賞の栄冠に輝いた。日産リーフの安心・安全を支えた数々の細かすぎる実験が、日産社内最高の栄誉の獲得につながったのだ。

そんな田中が、リーフの保安防災実験を担当するようになって新たに購入したものがある。それは、日産がかつて販売したEV「ハイパーミニ」だ。中古車市場で見つけたこのEVを、気付けば4台も手に入れていた。彼の趣味は、40歳になった今も変わらず、18歳から始めたクルマいじり。ハイパーミニに加え、自宅のガレージにはいろんなタイプのクルマを所有している。彼を実験へと突き動かすのは、物心ついたときから尽きることがない、クルマへの興味の追求なのだ。しかしなぜ、そこまでクルマに惹かれるのだろうか? それが、彼にとっての永遠のテーマである。

リーフの保安防災実験の一例

「路面干渉」

クルマが段差を乗り越えられるかどうかの実験。ガソリン車は床下にマフラーがあるのに対してEVである日産リーフは床下にバッテリーを備える。世界各国の路面の使われ方を再現して実施した

「落雷実験」

専用施設で実際に雷を落とす実験。電気で走るEVに落雷があった場合、いったいどんなことが起きるのか? ガソリン車には雷が落ちた前例があるが、EVには当然ながらないため検証した

「充電時の感電漏電実験」

EVの新しい機能である充電に関する実験。どんな状況下においても安全に充電できることが求められる

「冠水実験」

クルマを水に沈めた状態での実験。昨今、日本ではゲリラ雷雨が話題になっている。EVに乗った状態で、感電することなく水たまりを走れるのか? 絶縁設計は施してあるが、実際に水の中を走って検証した

「高圧洗車」

清掃時を想定した実験。まさかエンジンルームに直接水をかけるユーザーはいないと思いつつも実施。世界中の洗車機の水圧を調査し、そのなかで最も強力なモデルを使用