1930年代
創業者の鮎川 義介は、ダット自動車製造によるダットサンの優秀性を見抜き、その製造権を譲り受けて大規模化すべく、日産自動車の前身にあたる「自動車製造株式会社」を1933年に設立します。1934年には日本初の量産工場・横浜工場が完成し、社名も現在と同じ「日産自動車株式会社」になりました。1935年には横浜工場で国産自動車として初の一貫生産をスタート。アジア、中南米などに向けての輸出も開始されました。翌1936年には自動車製造事業法が制定され、日本の道路を走る自動車は、徐々に米国車から国産車に変わっていきます。
1931年
8月 | ▪ |
ダットサン(乗用車) |
1932年
4月 | ▪ |
ダットサン 10型 |
9月 | ▪ |
ダットサン 11型 |
1933年
10月 | ▪ |
ダットサン 12型 |
12月 | ▪ |
1934年
4月 | ▪ |
ダットサン 13型 |
5月 | ▪ |
横浜工場完成(治工具の製作開始) |
6月 | ▪ |
1935年
4月 | ▪ |
ダットサン 14型 |
5月 | ▪ |
社章制定 |
1936年
5月 | ▪ |
ダットサン 15型 |
6月 | ▪ |
ダットサンでレース初参戦(多摩川スピードウェイ) |
1937年
4月 | ▪ |
ダットサン 16型 |
6月 | ▪ |
ニッサン乗用車 70型 |
1938年
4月 | ▪ |
ダットサン 17型 ダットサン 17型 |