デザイン部門設立70周年
2024年、日産自動車デザイン部門は設立から70周年を迎えました。
日産自動車設計部造形課は、1954年に初代課長である佐藤 章蔵 以下7名の課員でスタートしました。佐藤は豊富な自動車知識を背景に、巧みな水彩画で、ダットサン112、ダットサン310ブルーバードをはじめとした多くの傑作を生みだしました。デザイナーには文化への責任があると説き、日本の風景にふさわしい簡潔な自動車デザインを心がけていました。
1966年、日産自動車はプリンス自動車工業と合併し、同社の造形部門が日産に合流しました。当時はスタジオが横浜鶴見と東京荻窪に分かれており、日産とプリンスのデザイナーは互いに多くの名車を世に出しました。フェアレディZ(S30)、スカイライン(C10)、ブルーバード(510)、セドリック・グロリア(230)、サニー(B10)、チェリー(E10)など、これらのクルマは社内の厳しいコンペティションを勝ち抜いて生まれてきました。
1982年、神奈川県厚木市に日産テクニカルセンターが設立されると、デザイン拠点は統合されました。1980年代の多様化する消費者意識は、デザイナーのイマジネーションを開放し、Be-1、パオ、フィガロなど、世界の自動車デザインに影響を与えたパイクカーや、シーマ(FY31)、インフィニティQ45(G50)などの新しい価値感を示した高級車、そして世界レベルに達した動性能を精悍なデザインで表現した第2世代のスカイラインGT-R(BNR32、BCNR33、BNR34)やプリメーラ(P10)を誕生させました。
この時代にデザイン本部長を務めた清水 潤氏は、日産デザイン部門の70周年に以下のコメントを寄せました。
「日産のデザイン部門設立70周年は大変な喜びです。私はこの歴史の中で、約半分に当たる34年間日産に在籍しました。我々には創立以来、メンバー1人1人が自由な発想や創造性を発揮できる風土があります。指導層が独善的に制作を強要する官僚組織ではありません。デザイナー、モデラ―、さまざまな支援スタッフ、全員の想いがデザインの創造を支えオリジナルで素晴らしいデザインを世界に広めて来ました。これからも日産デザインが輝き続けるよう、発展を願っています! 」
2000年代に入り、市場が一段とグローバル化していく中で、ブランディングが最重要視されました。アメリカに加え、ヨーロッパ、中国にデザインスタジオを構え、それぞれの国のニーズをくみ取りながら、グローバルにジャパニーズDNAを意識したデザインを行っています。それは佐藤 章蔵が意識し続けた文化への憧憬、責任であり、誇りでもあります。
日産デザイン部門70周年に際し、現デザイン担当の専務執行役員であるアルフォンソ アルバイサは以下のようなコメントを寄せています。
「自動車づくりという芸術を愛するものとして、日産のデザイン部門70周年に立ち会い、その誇りあるメンバーの一人として祝うことができるのはこの上ない喜びです。大小さまざまなトレンドが、1世紀以上にわたる自動車デザインの歴史を形作ってきましたが、私たち日産デザインの70年は、この偉大な歴史において、我々独自の道を行くことで意味づけられてきました。トレンドを十分に認識し、理解しながらも、道なき道を行くことにより大きな意味を見出すことは、日産デザインのメンバー全員が持つ素晴らしい才能です。これからも、偉大な先人たちと、次の時代を担う人たちが、私たちの進むべき道を見出してくれるでしょう。それは私たちの力が、私たち全員の内側から生まれるからです。さあ、次の70年に向かっていきましょう!」
いつの時代も、デザインは世の中と共にあります。日本社会に国産の小型乗用車をもたらした1930年代から1940年代。より良いものを求める消費者に応えた高度成長の時代。それ以降、多様化する価値感に多様な商品群でお客さまに喜びをもたらした時代。そして、グローバルにジャパニーズDNAを表現する現在。わたしたちは、原点である1954 年から現在に至るまで、お客さまに新しい価値を届けたいという一心で歩み続けています。